2012年6月23日土曜日

6月といえば…1961年のヴィレッジヴァンガード

6月25日といえば、1961年のヴィレッジヴァンガードで歴史的なライブ録音が行われた日。この日は、6日間のビルエヴァンストリオの演奏最終日だったという。昼過ぎから夜まで5回のステージがすべて録音され、演奏中録音機の電源が落ちてしまう中断も含めて、コンプリートアルバムともなっている。ジャズ入門レコードとしても名高いアルバム「Waltz for Debby」も、この録音から編集されている。

このレコード盤…1面最初の曲は「My foolish Heart」、実は1回目のステージでの3曲目、奏でるピアノとベースの静かな音に釘付けになってしまう……愛聴盤です。
CD化されては買い、コンプリートアルバムを見ては買い…エヴァンス晩年のヴィレッジヴァンガードでのライブ「Turn Out the Stars」も買い、そのためいくつもの「My Romance」 がiTunesの曲目一覧に並んでしまった……彼の一生で、この曲は何度演奏されたことだろう、エヴァンス節ながらイントロからして同じものが無いのが凄い!

演奏会場となったヴィレッジヴァンガードの下を地下鉄が走っているという。その震動音が演奏中の音にときどき紛れ込んでいる…という都市伝説のようなうわさがある。これは事実と思う(スピーカのコーン紙に触れていると、音にならない低域の振動ですぐ判ります)。

2012年5月21日月曜日

砂漠の不夜城だった…

昔の本を片付けていたところ、本に挟まれていた写真が出てきた。父の撮ったスナップであろう。
五反田駅東口に東京都内では最初の横断歩道橋が完成しその開通式、1963年の頃と記録にある。今は無い「建設省」の文字も見える。
この写真が妙に懐かしいのは、背景の白木屋デパート五反田店(今は建て替えられてレミィ五反田がある所)の屋上壁に、「カサブランカ」 というキャバレーのネオン看板が見えること。
東急池上線の終着ホームから改札口を出て、白木屋ビルの階段フロアを右に上れば、その先は真っ赤なビロードのカーテンが垂れる、妖しげなキャバレーの入口だった。

「あそこは何があるの?行ってみようよ!」
「子供には関係ない所よ!」
………
池上線を降りるたび、階段のところで、いつも気になった…その入口…。

いつしか、“砂漠の不夜城カサブランカ”は無くなってしまった。
私にとっては、今も幻のキャバレーだ。


2012年5月3日木曜日

業平橋が「とうきょうスカイツリー」駅に改名

当社が所属している(社)東京グラフィックサービス工業会は、スカイツリー開業日以降最初の土曜日に墨田区業平に工場を構える望月印刷さんをお借りして、「東京グラフィックスフェスタ」を開催することとなった。
スカイツリーへ向かうための最寄り駅はどこか……「業平橋」がいち早く「とうきょうスカイツリー」駅として名乗りを挙げたが、都営地下鉄で向かう私は「本所吾妻橋」か「押上」ということにしよう…
正式名が漢字なのに駅名をひらがな表記するのはなぜだろう?東京の二文字は、スカイツリーのシルエットさえ連想できる形なのに……先輩のディズニーランドだって東京は漢字表記!
さて、中国語表記となるはずの「東京天空樹」はすでに中国に商標登録されていて正式名は「東京晴空塔」になったようだ。

2012年4月6日金曜日

あっけなく、それはやってきた。

あっけなく、それはやってきた。機材にハードソフト両面で、負荷をかけすぎたのが原因か?それまで、ごく普通に稼働していたはずだったのに…いずれにしても、サーバーのクラウド化実現のタイミングがこんな形で訪れるとは。お客様にはしばらくご迷惑おかけしますが、早急な復旧改善を進めます。

2012年3月31日土曜日

昭和34年の伊勢湾台風…

床下浸水・床上浸水、「うちは膝まで!」「うちは胸までだぞ!」当時の悪ガキは無邪気に自慢しあった。台風の暴風が去ったころ…雨も小やみになってから…目黒川は静かに水かさを増し、夜になって浸水を拡げた。増水時はきれいな水面を拡げていたが、水が引いた後は臭くて泥まみれ!やっぱり下水の水である。翌日は町並みの壁の至るところ、浸水ラインの痕跡が残った…
集中豪雨などで目黒川の水かさが増すと、今でも防災サイレンが鳴り響き当時の記憶が蘇る。
上流に巨大な20万トンの雨水調節池が出来るまで…五反田の浸水被害は90年代まで続く。
これからは、津波による逆流も被害想定しなければ…? 関東大震災では津波は軽微だったようだが…

2012年3月10日土曜日

揺れる…

その当時も、国道一号線は目と鼻の先、高度成長期には大型ダンプがひっきりなしに走っていた。排気ガスのばい煙で洗濯物は真っ黒…
目黒川が流れる五反田商業地は、粘土質地盤!洪水ハザードマップでは今も要注意地区!
大型ダンプの急発進やブレーキで、粘土質の大地はそれこそ揺れた。木造の我が家の二階に通された客が「地震か?!」とあわてて立ち上がることもあった。微妙な揺れの違いで地震で無いことを知っている我々は平然、客が不思議そうな顔をしていたのを思い出す。
山手線の国電五反田駅ホームからも50メートルのところ、電車の往来の音、発車のベル、夜、騒ぎまくる酔っぱらい…五反田駅前の日常音だった。そうそう階下の印刷機・紙折機もうるさかったけど!

2012年1月22日日曜日

コダック経営破綻に…

コダックか経営破綻におちいった。

学生時代、手に入れた中古の一眼レフで、演奏会写真の撮影にのめり込んだ。会場は暗く、フィルム現像では増感処理など工夫しなければならなかった。もっぱらモノクロ写真です。
当時、モノクロ高感度フィルムといえばコダックのTRI-X、そして階調性の良いPLUS-Xなど、国産に比べても高価だった。
西新宿に店を出したばかりのヨドバシカメラで35ミリフィルムの100フィート缶(30.5m)を購入し、パトローネに小さく巻き取っては使ったものだった。

カラー写真の世界では、コダックはまさに独壇場だった。コダクロームやエクタクロームなどプロ用リバーサルフィルムが世界を席捲していた。

そのコダックは、一方では普及用インスタントカメラ用のフィルム規格を次々に提唱しては、規格に沿ったカメラとともに世に送り出してきた。
1960年代の「126カートリッジフィルム」、
1970年代の「110フィルム」、
1980年代の「ディスクカメラとフィルム」、
1990年代の「APS」など…これは日米共同規格
日本のフィルムメーカー、カメラメーカーは振り回され(あるいは需要を喚起され)後手後手を余儀なくされた。それでもインスタント指向の規格と真逆の高級感で対向していたことを思い出す。

『デジタルカメラを世界初で開発した…コダック』…と、今となっては皮肉な捉えられ方もするけれど、商品開発の流れを見ると、これ自体は驚くに当たらない。

世界標準を作ってきた企業、大きな影響力を持ってきた企業でも破綻する。

(追記)今日のNHK日曜美術館で紹介されていた『木村伊兵衛のパリ』の作品は1954年時点のパリをカラーフィルムで撮ったもの、それも開発途上の富士カラーフィルムで撮ったと言われている。今となっては、芸術作品であると同時に貴重な記録写真にも思える。ちなみにASA感度10 これで、「パリの夕暮風景」を手持ちで撮影している…驚異的。レンズは開放F値1.4(ニッコールレンズ)と言われているが…

2012年1月19日木曜日

取材といえばココ!

テレビを見てて、毎度おなじみの取材光景が多いのは、
テーマ別に取材先を特定しているからだ。
期待される発言ばかりがピックアップされているとしたら、
……面白い取材が出来るのかな?

酔いどれサラリーマンといえば新橋、
若いカップルといえば渋谷
オタクといえば秋葉原
高級住宅地といえば田園調布
町工場といえば大田区、
商店街といえば、戸越銀座、
お年寄りといえば巣鴨、
お役人といえば霞ヶ関
大阪といえば通天閣

そして、
風俗といえば…
ん! 五反田…

そんなことないです。
今五反田は明るいビジネスの町ですヨ!

2012年1月10日火曜日

スマートフォンを使い出して…

私事ですが、それまで通話とメール(入力が億劫で「『り』と押して了解!」)ぐらいで使用率も低かった携帯を、昨年末からスマートフォンに切り替えました。
それほど携帯利用も不得意だったくせにスマホに切り替えた訳は、
「今後、スマホがもっと普及するし、既にかなり普及している…」との焦りもありました。社員達はとっくにスマホなのです。

使い出してしばらくして、スマホは「閲覧」どころかPCの替わりでも無い…と思いはじめました。
スマホの立ち位置はもっと別のところに…

使い慣れればですが、
どこに居ても自分の目、耳、口を代行し、
さまざまな思考や連絡・聞き取り役も引き受けることができる万能性や可能性を感じるからでしょうか?
アプリやSNSの台頭も手伝って、今後の進化に目が離せません。

2012年1月4日水曜日

山手線に新駅が…

山手線の品川駅と田町駅の間に新駅着工のニュースが飛び込んできた。
西日暮里駅を新駅と認識している私はすでに旧人類だ。

五反田から田端に向かうとき、内回り・外回りとも14駅目だったのが、西日暮里駅の登場で外回りが優位になった。品川・田町間の新駅が出来ると、西日暮里はどちら回りで行けばよいのだろう……
水道橋までは内回り・お茶の水経由だったのが、今度の新駅登場で外回り優位となる。

…ん?新駅の名前はどうなるのだろう。まさか「北品川」って…それは京急の駅名だろう。

2012年1月1日日曜日

新年のご挨拶を申し上げます

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆さんは身の回りの記録をどのように保存管理していますか?

あのときの写真・記録は…と探すとき、どこに記録したか…収納したか…。それどころか、記録をとっていないことの方が多いくらい!…ときどき自分のものぐさぶりに腹が立ってしまいます。
記録や資料は時系列で収納しよう… とか、gmailに全てを託して有効活用しよう…と、「超」整理術の野口悠紀雄先生はおっしゃるけど、それも継続力が無いとなかなか成り立たないし、そもそも几帳面さは欠かせないのだ!一年の計は元旦にあり…今年こそやるぞ…と、今年も思います。

正月に知人と交わす年賀状の「挨拶の流儀」は、おっくうな精神を吹き払い、有効な資料保存と更新確認の仕組を巧みに織り交ぜていると改めて思う。
しかも一通の挨拶状からいろいろなことに気づかせてくれる……文字情報だけでは無い…いろいろな事に……