2011年12月24日土曜日

昭和30年代のクリスマス

当時の想い出(筆者小学生時代です)…駅の東側はキャバレー、近所はスタンドバー(ニッカバー・トリスバー全盛期。ハイボールが人気)・小料理屋などが並んでいました。クリスマスイブの夜は、お店もかき入れ時、酔っぱらいも多く、どんちゃん騒ぎ、果ては大声を挙げ、喧嘩も絶えませんでした。
お巡りさんが仲裁に入る光景もよく見ました。戦後とはいえ「滝田ゆう」描くところの漫画とそう変わりません。その酔っぱらいさんも、言い訳用のケーキをぶら下げていたような…。
近頃のクリスマスは、いたって静か、五反田の猥雑な賑やかさは、どこへいったのでしょう!

2011年12月9日金曜日

(再掲)書き手は、検索される読み方を想定しているか

 スマートフォンの普及により電子書籍も読みやすくなりました。この電子書籍、厚手の本の代わりとしてなら快適です。何千頁あっても、持ち運び自在、「検索機能」読みたいところだけ飛び石的にチョイ読みも可能。

 翻って印刷本では、ぶ厚い「表紙」を開き、「扉」を開け、「目次」を一瞥し、さて本題に入る前に「あとがき」をチョ イ見して、いよいよ本文読書開始と相成ります。

……ここまでの読み手の行為を、きっと書き手はお見通しです。書き手は、読み手を拘束しながら、ストーリー に沿って時間の流れを共有したいと思っ ているはずです。これを可能にする「印刷本」のメリット、これは電子本が無ければ気がつかなかったでしょう。 
 
 メディアやコンテンツの多様化は、昨年来より勢いを増してきました。送り手と受け手、書き手と読み手、双方を意識しながら我々も多様化への対応を考えててまいります。

(再掲)自作のお手伝い

先日、友人が、パンフレットを自作したい…と、相談してきた。 参考までに送られてきたデータを見て、
「なかなか良くできてるね。我々業者顔負けだネ!」
「これ、A5横長のパンフレットにしたいんだけど…」
「エッ!?」
友人はA4縦で組んでいる。助言しようにも、「オイオイっ!」

別の友人から、製本のみ頼まれた。ドサッと届いた出力紙を見て、左寄りに出力されている…いやな予感…裏面を見ると…また左寄り…
「製本というより綴じるだけだよっ!」
…と友人の期待をやんわりいなす。
友人の一言
「A4の紙で出力してしまったのだけど、B5サイズに製本してもらえるかな?…」

皆さんは決してこんな無茶はなさらないことでしょう。

どうか制作の早い時期からご相談ください。

お取引いただいているお客様には当社sobun.jpサイトで、

お仕事の進行状況や蓄積が確認できます。

(再掲)加工できない写真が撮れることの「価値」

 日経に、「データ改変できないデジタルカメラ」が開発されたため、警察の鑑識課では今年度からデジタルカメラに切り替える…という記事が載っていた。
今まで一眼レフのフィルムカメラが使われていたのだそうである。

 加工や改変が簡単にできるデジタル写真だが、この便利さがアダになる分野もあるのだと再認識した。「改変できないデジタル写真」は、「証拠能力が公判でも維持できるデジタル写真」になるという。

 このような「便利」の裏にひそむ「欠点」や「価値」が、デジタル系の加工ばかりに囲まれている現状の印刷の現場にも潜んでいるかもしれない………と思
う。

(再掲)いざというとき使えない予備!

 今回の震災や原発のニュースで感じたことです。 当初は計画停電になる…ということで、ご多分にもれず、我が家でも懐中電灯!、AMラジオ!、水!、簡易コンロ!と取り出したところ、装填のままだった電池はなんと錆だらけ、手動発電の懐中電灯はギアが壊れて使えません!

 突然の停電だったら、なんの役にも立たなかったのです。

 社内でも、今回のことも教訓に、お客様との関わりの中で大事なデータ管理について、改めて見直しを進めています。

 「「BackUp」は必ず取っている」のですが、そのBackUPを生かせるか? 
もし生かせない状況が想定 されるなら、別のBackUP、別の復旧策で対応できるか!、BackUp(予備)が主役を務めることを本気で想定しなければ、予備の価値は無いですね。

(再掲)「印刷すること」は、意志決定?

ウェブの中で,人気のあるページとは、多くの方々から閲覧されることの多いページ…と思われがちですが、プリント出力されるページこそが閲覧者に支持されている……という指摘が、ある本に載っていました。ターゲットを絞った印刷行為は、それこそが閲覧者の『意志決定』なのかもしれません。
 私共も、お客様の「印刷」への意志決定に共感し、きめ細かい対応をしてまいります。

2011年12月8日木曜日

(再掲)カナ入力はどこへ行く?!

大きな話題性を伴なって登場したiPad、5月末に注文し、6月半ばに手に入れた。液晶画面だけのすっきりしたデザインである。キーボードは入力モード時に液晶画面に映し出される仕組みである。手始めに無料アプリをインストールしたり、WEBやメールの使い勝手を試してみた。そして気がついた。
「日本語入力でカナ文字キーでの入力が出来ない!?」 

 パソコンでは日本語入力方法を、カナ式とローマ字式のどちらでも選ぶことが出来る。だがアップルの開発者は、iPadなら閲覧や画面操作が主体だか らローマ字式入力で事足りると考えたのだろうか。入力モードで画面に現れるiPadキーボードはまずアルファベットが並び、数字列は表示されない。数字を 打つには数字モードに切替えねばならない。数字列にも「ぬふあうえ…」とカナ配置のあるJISカナ式がiPadで採用されない理由は、この辺にあるのかも しれない。
 そんなカナキー設定の無い日本向けiPadではあるが、設定画面の中での欧文キーボードには様々な配列が用意されている。フランス語圏用「AZERTY」配列、タイピングの速さでは定評あるもののマイナーな「Dvorak」配列だって選択できるのだ。
 これだったら3列にすべてのカナ配列を実現している「親指シフト配列」が選べてもよさそうなのに……と、「親指シフト派」の私は思ってしまった。
 そう、私は、今でも「親指シフト派」である。(携帯操作の親指ではない)ワープロが出現してまもなく、当時の富士通が編み出した日本語入力専用の キー配列やキーボードのことであり、ワードプロセッサ「OASYS」には当初標準で採用されていたものだ。「JISカナ式」や「ローマ字式」よりも日本語 入力速度が早いということで、印刷・出版業界でもOASYSを選択導入するところが多かったようである。1〜2週間ミッチリ練習すれば(ここが肝心)、ブ ラインドタッチで楽々日本語入力出来るようになる……というのは本当だった。当時、文字入力の仕事も多く、当社でも「親指シフト」のOASYSがずいぶん 活躍したものだった。
 その後、印刷業界を席捲したMacintoshによるDTP時代が到来すると、MACでも使えるサードパーティ社製の親指シフトキーボードを捜してきた。いまでも標準キーボードに親指シフト用エミュレータソフトをあてがいながら利用している。
この文章を打ち込んでいる私のノートパソコンは「Windows7 Pro 64bit」である。が、ここでも親指シフト入力を実現させている。
ところが、いまや社内で「親指シフト」にこだわっているのは私を含めて年配組!いつしか誰もがローマ字入力派となってしまっているのだ。文筆業を中 心に多くのファンがいるとも言われる「親指シフト」だが、どうも最近は旗色が悪い。「親指シフト」は忘れ去られていくだけなのだろうか!
 現在国内で販売されているパソコンのほとんどはJISカナ式のキーボードで売られている。このうち購入者の何割がJISカナ式入力を利用しているのだろうか。iPadでは、もはやカナ式入力の選択はできない。
「ローマ字式入力こそが標準的な日本語入力だ?…」
と、主流派であることを理由に胸を張ってしまって良いのだろうか。私の小学校時代にはローマ字学習の時間があった。戦後の進駐軍の政策に沿ったローマ字学 習だったかもしれない。でも世代によってはローマ字学習の体験すらない。パソコン教室ではローマ字入力が壁になってしまう高齢者も多いと聞く。外来語をカ タカナとして入力するときなど、原語のスペルとは似ても似つかぬ入力は不自然で気持ち悪い。表記法だっていろいろなのだが変換ソフトIMEのきめ細かな働 きで、なんとか成立している入力システムのような気もする。親指派の負け惜しみと言われてしまいそうだが、
 ほとんどのキーボードに刻印されている欧文のQWERTY配列もその歴史をたどればその配列の合理性は疑わしいようだ(上段だけで TYPEWRITERと打てるのは何故!、左からASDFGHJKLと並ぶのはABCD順に並べていた名残り!)。JISカナも、取りあえず割り振った配 列が今に至っているとも聞く。
 キーボードを擁する機器類は、19世紀後半から、機械式・電動式・電子デジタル式と、進化の波にもまれながら大きく変貌を遂げてきた。そして通信 に、コミュニケーションに大事な役割を演じてきたはずである。特にキーポードは人と機器類との大事なインターフェースであり、機器操作のカナメにあたる。 それなのに、キーボード配列やその仕組は、なんて保守的で、場当たり的で、いい加減さを内包したままで今日まで生きながらえているのだろう!ほんとうに不思議です。

(再掲)水辺のエコツアーに参加して

東京都心の河川をめぐるツアーに参加した。下水・汚水も流されていた昔が嘘のように、臭気の無いきれいな水面を快適な2時間コースで廻った。
まずは水道橋付近より日本橋川を下った。道路基点である日本橋をはじめ都心の橋をくぐりぬけてゆく。頭上には首都高速道の高架が分岐・合流しながら 川に沿って走る。電気動力の小型船は音もなく静かに進んだ。土曜日午後の水面は都会の雑音も聞こえぬ静けさだったのは意外。目に馴染んでいる風景でも川面 からの目線で見上げる新鮮さ、陸の上の通行人、ジョギングの人、ベンチに佇む人、自転車で行き交う人…ほとんど船や我々の存在に気づかない様子。



中央区新川を過ぎ、隅田川に出た。とたんに外洋に出た小舟のように揺れる。しばらくさかのぼって、今度は神田川河口から浅草橋付近柳橋をくぐり秋葉 原に向かう。万世橋、昌平橋をくぐり、お茶の水駅を見上げる。交差する丸ノ内線、総武線を仰ぎ見ながら、聖橋をくぐり、水道橋に戻ってきた。
楽しいひとときでした。



2011年12月7日水曜日

山手線と目黒川にはさまれた、ココに当社があります。

サーバーの組み替えなどで、こちらから新たに社長ブログとして発信していくことになりました。あらためてメディアの様々なありようを体感していこうと思います。

文化がたどりつくところは?…

触れあいが、
仕草になり、
声になり、
仲間との合図になり、
コトバが生まれ、
覚えておくための文字になり、
象形文字ができ、
漢字体系が生まれ、
和ことばを漢字に当てはめ、
おまけに外来語も取り込んで、
省略コトバの隠語をこしらえ、
量子化と電子化で羽が生え、
遠くまでまたたくまに伝わり、
引用流用を繰り返すうちに私が消え、
コトバに重さや信用や意味や実感も無くなって、
元の「触れあい」からますます遠ざかっていくような…

文字を扱う仕事をしながら、ときどき考えさせられる。