2012年3月31日土曜日

昭和34年の伊勢湾台風…

床下浸水・床上浸水、「うちは膝まで!」「うちは胸までだぞ!」当時の悪ガキは無邪気に自慢しあった。台風の暴風が去ったころ…雨も小やみになってから…目黒川は静かに水かさを増し、夜になって浸水を拡げた。増水時はきれいな水面を拡げていたが、水が引いた後は臭くて泥まみれ!やっぱり下水の水である。翌日は町並みの壁の至るところ、浸水ラインの痕跡が残った…
集中豪雨などで目黒川の水かさが増すと、今でも防災サイレンが鳴り響き当時の記憶が蘇る。
上流に巨大な20万トンの雨水調節池が出来るまで…五反田の浸水被害は90年代まで続く。
これからは、津波による逆流も被害想定しなければ…? 関東大震災では津波は軽微だったようだが…

2012年3月10日土曜日

揺れる…

その当時も、国道一号線は目と鼻の先、高度成長期には大型ダンプがひっきりなしに走っていた。排気ガスのばい煙で洗濯物は真っ黒…
目黒川が流れる五反田商業地は、粘土質地盤!洪水ハザードマップでは今も要注意地区!
大型ダンプの急発進やブレーキで、粘土質の大地はそれこそ揺れた。木造の我が家の二階に通された客が「地震か?!」とあわてて立ち上がることもあった。微妙な揺れの違いで地震で無いことを知っている我々は平然、客が不思議そうな顔をしていたのを思い出す。
山手線の国電五反田駅ホームからも50メートルのところ、電車の往来の音、発車のベル、夜、騒ぎまくる酔っぱらい…五反田駅前の日常音だった。そうそう階下の印刷機・紙折機もうるさかったけど!