2013年1月1日火曜日

新年明けましておめでとうございます。

昨年末、私事ですが、出身高校の同期有志が企画した「同期生還暦記念文集」の制作に関わりました。
印刷業者としては普通のことを普通にこなしていく中、改めて制作を依頼する側(出来上がりを楽しみにする側)をも体験することになったのです。

原稿収集、校正依頼、資料作成、組版確認など、工程の一つとして順次進めるべき作業が、自身で関わってきた高校時代のことであったため、行きつ戻りつしながら決して効率的とは言えない作業となってしまいました。しかし、本作りの楽しさ、奥深い喜びを改めて体験するところとなりました。

本作りは楽しむことができる…そう確信できました。

私どもも、お客様に、本作りを始め印刷物制作を楽しく進めていただけるよう努めてまいりたいと思います。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2012年6月23日土曜日

6月といえば…1961年のヴィレッジヴァンガード

6月25日といえば、1961年のヴィレッジヴァンガードで歴史的なライブ録音が行われた日。この日は、6日間のビルエヴァンストリオの演奏最終日だったという。昼過ぎから夜まで5回のステージがすべて録音され、演奏中録音機の電源が落ちてしまう中断も含めて、コンプリートアルバムともなっている。ジャズ入門レコードとしても名高いアルバム「Waltz for Debby」も、この録音から編集されている。

このレコード盤…1面最初の曲は「My foolish Heart」、実は1回目のステージでの3曲目、奏でるピアノとベースの静かな音に釘付けになってしまう……愛聴盤です。
CD化されては買い、コンプリートアルバムを見ては買い…エヴァンス晩年のヴィレッジヴァンガードでのライブ「Turn Out the Stars」も買い、そのためいくつもの「My Romance」 がiTunesの曲目一覧に並んでしまった……彼の一生で、この曲は何度演奏されたことだろう、エヴァンス節ながらイントロからして同じものが無いのが凄い!

演奏会場となったヴィレッジヴァンガードの下を地下鉄が走っているという。その震動音が演奏中の音にときどき紛れ込んでいる…という都市伝説のようなうわさがある。これは事実と思う(スピーカのコーン紙に触れていると、音にならない低域の振動ですぐ判ります)。

2012年5月21日月曜日

砂漠の不夜城だった…

昔の本を片付けていたところ、本に挟まれていた写真が出てきた。父の撮ったスナップであろう。
五反田駅東口に東京都内では最初の横断歩道橋が完成しその開通式、1963年の頃と記録にある。今は無い「建設省」の文字も見える。
この写真が妙に懐かしいのは、背景の白木屋デパート五反田店(今は建て替えられてレミィ五反田がある所)の屋上壁に、「カサブランカ」 というキャバレーのネオン看板が見えること。
東急池上線の終着ホームから改札口を出て、白木屋ビルの階段フロアを右に上れば、その先は真っ赤なビロードのカーテンが垂れる、妖しげなキャバレーの入口だった。

「あそこは何があるの?行ってみようよ!」
「子供には関係ない所よ!」
………
池上線を降りるたび、階段のところで、いつも気になった…その入口…。

いつしか、“砂漠の不夜城カサブランカ”は無くなってしまった。
私にとっては、今も幻のキャバレーだ。


2012年5月3日木曜日

業平橋が「とうきょうスカイツリー」駅に改名

当社が所属している(社)東京グラフィックサービス工業会は、スカイツリー開業日以降最初の土曜日に墨田区業平に工場を構える望月印刷さんをお借りして、「東京グラフィックスフェスタ」を開催することとなった。
スカイツリーへ向かうための最寄り駅はどこか……「業平橋」がいち早く「とうきょうスカイツリー」駅として名乗りを挙げたが、都営地下鉄で向かう私は「本所吾妻橋」か「押上」ということにしよう…
正式名が漢字なのに駅名をひらがな表記するのはなぜだろう?東京の二文字は、スカイツリーのシルエットさえ連想できる形なのに……先輩のディズニーランドだって東京は漢字表記!
さて、中国語表記となるはずの「東京天空樹」はすでに中国に商標登録されていて正式名は「東京晴空塔」になったようだ。

2012年4月6日金曜日

あっけなく、それはやってきた。

あっけなく、それはやってきた。機材にハードソフト両面で、負荷をかけすぎたのが原因か?それまで、ごく普通に稼働していたはずだったのに…いずれにしても、サーバーのクラウド化実現のタイミングがこんな形で訪れるとは。お客様にはしばらくご迷惑おかけしますが、早急な復旧改善を進めます。

2012年3月31日土曜日

昭和34年の伊勢湾台風…

床下浸水・床上浸水、「うちは膝まで!」「うちは胸までだぞ!」当時の悪ガキは無邪気に自慢しあった。台風の暴風が去ったころ…雨も小やみになってから…目黒川は静かに水かさを増し、夜になって浸水を拡げた。増水時はきれいな水面を拡げていたが、水が引いた後は臭くて泥まみれ!やっぱり下水の水である。翌日は町並みの壁の至るところ、浸水ラインの痕跡が残った…
集中豪雨などで目黒川の水かさが増すと、今でも防災サイレンが鳴り響き当時の記憶が蘇る。
上流に巨大な20万トンの雨水調節池が出来るまで…五反田の浸水被害は90年代まで続く。
これからは、津波による逆流も被害想定しなければ…? 関東大震災では津波は軽微だったようだが…

2012年3月10日土曜日

揺れる…

その当時も、国道一号線は目と鼻の先、高度成長期には大型ダンプがひっきりなしに走っていた。排気ガスのばい煙で洗濯物は真っ黒…
目黒川が流れる五反田商業地は、粘土質地盤!洪水ハザードマップでは今も要注意地区!
大型ダンプの急発進やブレーキで、粘土質の大地はそれこそ揺れた。木造の我が家の二階に通された客が「地震か?!」とあわてて立ち上がることもあった。微妙な揺れの違いで地震で無いことを知っている我々は平然、客が不思議そうな顔をしていたのを思い出す。
山手線の国電五反田駅ホームからも50メートルのところ、電車の往来の音、発車のベル、夜、騒ぎまくる酔っぱらい…五反田駅前の日常音だった。そうそう階下の印刷機・紙折機もうるさかったけど!